うどんカフェママ・西井紀代子

第12回 親が参加できなくても・・・

お父さんは地域に、お母さんはもっと仕事を

お父さんは地域に帰ろう、お母さんはもっとしっかり働こう、子ども達との時間を大切に。これで世の中のバランスがとれるのだ! という私の理想は、自宅近くでうどんカフェを開業するという選択でかなりいい線いくかなと思っていた。が、実際はとんでもない。

毎日、長時間の労働の上、定休日も仕込みでつぶれる。お父さん不在が長くなり、家事育児の”性別役割分業化”が進んだのは全く意外な展開!

学校や保育園の行事に両親そろって顔を出すのも難しくなった。


「パパも来てくれるの!」

そんな私たちの悩みをよそに、日本全国運動会シーズンの到来である。運悪く、町内の二つの小学校の開催日が重なった。便りの店のパートスタッフ2人も、私も、子どもが両小学校に通っている。みんな運動会に行ってしまったら店はどうなる? 臨時休業はお客さんに申し訳ない。

これまで、人の手を借りながらなんとかやってきた。たまに実家の両親が四国から出てきて子どもの面倒をみてくれた。友だちのうちに遊びに行かせて、そのままお風呂まで入れてもらった日もある。3人の子を育てあげた私の友人夫婦が、動物園や花火大会に連れて行ってくれたりもした。うーん。しかし今回の危機はちょっと深刻だぞ。

悩むこと数週間。ある日、観念して店頭に張り紙をした。
「勝手ながら今度の日曜日はお休みさせていただきます。」

小学校から帰ってきた娘が、めざとく見つけて躍り上がった。「パパも来てくれるの!」


子どもの体ってきれい!

さて、運動会当日、一番前に席を取り、わくわくしていたのは私たち親の方だった。リーダーシップをとる大きい子たちが頼もしい。六年生が踊る「ソーラン節」を見て、体操服からにょきにょきと伸びた手足の動きにほれぼれした。

ころころ走る1年生がかわいくて、よその子にも思わず声援を送る。車椅子に乗っていたり、先生に支えられたりしている子もみんな、子どもの体って本当にきれい!

娘と同じ1年生のカズ君の家族が、私たちの隣に陣取っていた。お母さんと妹とおじいちゃんとおばあちゃん。お父さんは車の販売の会社に勤めていて、日曜日はかきいれどきなのだ。

「残念だね」という私に、「慣れてるから」というお母さん。お父さんは今晩ビデオを見るのを楽しみにしているのだろう。息子の出番のたびにビデオを回す彼女の姿は、なかなか堂にいっていた。


地域ぐるみで楽しむ運動会

午前の部が終わり、子ども達はそれぞれの家族のもとに散った。私が子どもの頃、親が来られない子がかわいそうだからと、子ども達だけ教室に戻ってお弁当を食べた時期があった。

また元に戻ったのは、運動会を家族ぐるみ、地域ぐるみで楽しもうという流れだろうか。親がいなくても、楽しくお昼を過ごせる仲間がいればいいのだ。

運動会を家族で楽しめてよかった! その一方で親が運動会に参加できない子も、親のない子や単親の家族も、いろんな家族を包み込んでくれる豊かな関係を、ふだんから持っていたいなあと思う。

第13回 お豆腐のムース、誕生

立つ場所が変わった

狂牛病により食肉の汚染が大問題になっている。

私が参加している、インターネットを使った子育て情報を交換するメーリングリストでも、報道と同時にお母さんの不安が次々に書き込まれた。家庭の食材と違って、学校給食では家庭に選択の余地がない。

血液製剤によるHIV感染の例をあげるまでもなく、「行政に頼っていては自分の子は守れない」と感じている人は多いのだ。その後、横浜市から「牛は使わない」という方針が出て、給食の不安はひとまず落ち着いた。ほっと胸をなで下ろした一人である。

一方、私は今回の問題で初めて、単なる消費者から食を提供する側に、立つ場所が変わったのを痛感した。


製造元に問い合わせして

うどんカフェの肉うどん、肉汁せいろなどに使っているのは豚肉である。関東人の好みを考えてのことだが、もうひとつ理由がある。豚の種付けから一貫して肥育し、飼料などを公開している牧場が山形にあり、そこの豚肉を使いたかったのだ。

狂牛病は豚には感染しないそうだが、念のため牧場に連絡をとり、えさに牛骨粉を使っていないことを確認した。

引っかかったのが、「お豆腐のババロア」に使うゼラチンである。ゼラチンの製造元は「原料は牛骨と豚皮で、被汚染国からは輸入していない。仮に汚染材料が混入しても、製造工程中のアルカリ処理で狂牛病の原因になる病原体は死滅してしまう」と説明する。

説明で、問題ないと納得はした。しかし、お客さんに原料の輸入元や製造工程まで説明しないと安心してもらえないのでは、ちょっとつらい。ゼラチン会社の方ではなおさらのことだろう。


ゼラチンから寒天・葛へ

そんなことを思いながら、迷ったが、10月のはじめ、ゼラチンを寒天に切り替えた。しかし、お豆腐のババロアのプリプリ感がいまひとつで、がっかり。私が首をひねっていると、パートスタッフのめぐみさんが提案してくれた。「葛を使ったらどうですか」

その一言で思い出した。上の子が3歳くらいまでは、まめにおやつを手作りしていたなあ。日本人が昔から食べてきた材料で、体にやさしいおやつを心がけて、葛でプリンのようなものを作ったり、山芋を膨張剤にしてケーキを焼いたり。


顔の見える関係を大切に

さっそく、長野産の寒天と奈良産の吉野葛を併用して調理し、みんなで試食した。

「トロリとしておいしいね。ムースに改名しようよ」

めぐみさんは、料理上手な、小学生2人のお母さん。消費者として、食を提供する飲食店として、両方の立場の知恵がまぜこぜになってひらめくのが、私たちのいいところである。

そこでもうひとつ忘れてならないのが、生産者の立場の人たち。彼らと、いつでも原料や飼料までさかのぼって確認できる、顔の見える関係を持てたら何があっても安心だ。

消費者、飲食店、生産者が、それぞれの立場で職に責任を持つという意識が必要な時代なのだと、狂牛病の一件は教えてくれた。(2001.10.23)

第14回 天ぷら油の長い旅

ナタネ100%、一番搾り

サクッとした揚げたてのてんぷらが恋しい季節になった

天ぷらといえば、新鮮な海の幸や季節の野菜・・・ネタがまず頭に浮かぶが、包み込んでいるのは油だ。油が悪ければ、みんな台無しになってしまう。

うどんカフェでは、遺伝子組み換えではないナタネ100%の油を使っている。
圧縮して搾った後、湯洗いで不純物を取り除くという製造方法で、しかも一番搾り。油の抽出、精製に化学処理を施していない。
これに、やはり化学処理をしない胡麻油を少し混ぜる。だからとても風味がよいのだ。

手間ひまかけた質のよい油を、最後の一滴まで使いたいのだが、残念ながら泡が立つようになると寿命である。

元の一斗缶に収めて、倉庫の裏に置いておく。ここがリサイクル組の集合場所で、油は第二の人生を待っているのだ。

その水先案内人がもうすぐやって来る。


廃油を石けんに

(株)川崎市民石けんプラント(ブランド名:きなりっこ)の職員の方2人が到着したのは、お昼も過ぎてお客さんが引いたころ。まず「おなかすいたー」と客席に座ってくれた。

実は使い終えた油は、石けんに生まれ変わるのである。どうやって石けんを作るのか説明してもらうと・・・。

回収した廃食油を油洗いした後、脱色脱臭工程を経て、苛性ソーダを少しずつ加え、100度で攪拌すると、廃食油が水飴状になる。それにソーダ灰を加え、4日間ほど乾燥させてから、粉砕して、やっと粉石けんができ上がるそうだ。

経験や根気のいる大変な仕事らしい。


集めるのも大変

ランチを食べ終えた後、「さあ、仕事だ」と厨房の裏へ回る彼ら。

まずい。私って整理整頓が苦手なのだ。
「ごめんなさいね、空き瓶や空き缶をごちゃごちゃに置いてて」と言うと、意外そうにこんな返事が・・・。

「平気、平気。廃食油はたいていどこの店でも一番見えにくい所に置いてあるんだ。天井の低い倉庫に、腹ばいでもぐって取りに行くこともあるよ」

レストランや学校などを300カ所くらい回って廃食油を集めるという。作るのも集めるのも大変な仕事なのだ。


合成洗剤は健康や環境に悪影響

ところで、読者のみなさんは洗濯や炊事に石けんを使っておられるだろうか。

一般のスーパーの雑貨売り場では、圧倒的に合成洗剤が多く、石けんはわずか。石けんといえば、お風呂と洗面所のものと思っている方もあるかもしれない。

しかし、合成洗剤はがんや肝臓障害を引き起こす、環境汚染の原因になるなどの指摘がされて久しい。

川崎市では1982年に、公共の場で石けんを使いましょうという通達が出され、学校給食などは徐々に石けんに切り替わった。川崎市民石けんプラントでも、小学校に納入しているそうだ。


うどんカフェは石けん派

もちろん私たちも石けん派。

私が運営するママ・チョイスのネット通販では、数社の石けんを扱っているし、うどんカフェでは、食器洗いも洗濯もすべて石けんである。厨房の油汚れには、川崎市民石けんプラントの「プリン石けん」で、使いやすく、汚れ落ちもいい。

一度旅に出た天ぷら油が、また姿を変えて私たちの元に戻ってきた。
大事に使わなきゃ。

第15回 母が通い詰めた食品店

きれいな水を取り戻す運動

前回、うどんカフェでは天ぷらの廃食油で石けんを作ってもらっている、と書いた。実は、このリサイクル石けん作りには長い歴史がある。1970年代、湖や海の汚染が進み、全国で赤潮が発生するなどした。きれいな水を取り戻そうという声が、それぞれの土地で巻き起こる。

その中で、廃食油を捨てず資源としてリサイクルし、合成洗剤を減らして石けんを普及させる、という一石二鳥の運動が芽生えたのである。

この運動の歴史が書かれている本「よみがえれ琵琶湖」を読んでいて、意外な発見をした。私の故郷である四国・松山が、リサイクル石けん運動の先進地として紹介されていたのだ。当時、この石けん作りを始めようとした滋賀県の人たちは、先駆的なグループを訪ねて、ノウハウを学んだことが記録されており、そこに松山がでてくる。いまうどんカフェがお世話になっている、川崎市民石けんプラントも元をたどれば、そのネットワークにつながる。


なんて率直で、前向きなエネルギー!

私は小学生のころ、母がそれまで使っていた合成洗剤をやめ、石けんに切り替えたのを記憶している。もしかしたら当時のリサイクル石けん運動に影響を受けたのかもしれないと思い、「ねえねえ、知っていた?」と実家に電話してみた。

そして二度びっくり。その運動を引っ張っていたのは、母が通い詰めた自然食品店のおばあちゃんだった。残念なことに、十年ほど前に亡くなられたそうだ。

その息子さんから母が聞いた話では、廃食油のたれ流しと合成洗剤の健康被害をどうにかしたいというのが、彼女らグループのテーマだったそうだ。それをあるお年寄りに話したら、石けんは食用油で作られると智恵を授けられた。しかし、いくら探しても製造を引き受けてくれる業者が見つからない。それで、自分たちで作ろうとなったらしい。なんて率直で、前向きなエネルギーだろう。

母は食品への不安がきっかけで、彼女の店で野菜や加工品を買うようになったが、店にある石けんに自然に手が伸びた。当時、市内を流れる川は、家庭から排出される合成洗剤で泡立つほどの状態で、こども達の将来がひどく心配になったのだという。


環境に負担をかけない暮らし方を伝える

私が子どもの時代、つまり1960〜70年代は、全国で公害が発生したり、食品添加物の急性毒性が見つかったりと、ショッキングな出来事が続いた。その失敗を教訓にして生かし、今があるはずなのだ。しかし合成洗剤ひとつとっても、やめられない人が大多数を占めるのが現実で、根本は何も変わっていない。

限りある資源を循環させ、環境に負担をかけない生活の仕方を、親から子へと伝えていかなければならない。30年前に故郷で試みられたと同じことを、いまふうに私の店でやれたらいいな。

うどんカフェで働く人たちは最初のころから、この石けんだと手が荒れないですね、と言っていた。それで、廃食油石けんを実費で譲るようにしている。そんな小さなことから、ぼつぼつとやっていこうと思う。

第16回 地域のサロンに

コーヒーとおしゃべり

静かな午後である。隅のテーブルでぽつんと1人、コーヒーを飲みながら仕事をしているのは、漫画家の悟東あすかさんだ。

次に見えたのは年配の男性で、難しそうな書籍と地図を広げて調べ物をされている。「どちらへ行かれるのですか」と、つい余計なことを聞いてしまった。彼は、こころよく「○○寺を訪ねるのです」と教えてくれた。

え?!お寺!

私は、反射的に反対側のテーブルの悟東さんを振り返って「○○寺って、どこでしたっけ」と聞いてしまった。尼さんとの二足のわらじの彼女に聞けば、何か分かると思ったのだ。

すぐに腰を上げた彼女は、もう一緒に地図を覗き込んでいる。うわっ、仕事の邪魔しちゃった、と思ったが後の祭り。しばらく3人で、絵馬の話に盛り上がった。


絵馬に書き込んだこと

その男性がお寺を訪ねて回っているのは、奉納されている絵馬をみるためだという。

今で言う数学の問題が記されている絵馬で、三角形や円形の、この部分の長さを求めよ、というような、受験問題集にでてきそうな難問がかいてあるのだ。

当時の解き方は、今の方程式などとはまた違う方法だったらしいが、何千年も前に精巧な建物や道具が作られていたことを考えれば、古来より、高度な計算方法があったのだろう。

昔の人は、絵馬にありとあらゆることを書き込んだそうだ。風邪の治し方、自分史、俳句、願いごとなど。それがお寺に奉納され、展示されたのはなぜ?という私の質問に、悟東さんは答えてくれた。「昔、お寺は地域のサロンのような場所だったのよ」

人々の寄り集う場所で、情報を交換したり、伝言をしたりしていたのだ。難問を絵馬に書いて「どうだ、解いてみろ」とライバルに挑戦状をたたきつけたりもしたのだろう。


少しずつ成長しているかな

サロンか。あれ、こんな話を以前にもどこかでしたような・・・。

思い出した。日本福祉大学が企画した鼎談(ていだん)でのことだ。3人のうちの1人に、大阪のお寺の住職で、「ボウズ・バー」という、文字通り坊さんが経営し、バーテンダーを務めるバーを開いた、清史彦さんがいた。彼の考えるお寺の役割はまさにサロンだった。

もう1人は、六本木のハンバーガーショップで、若者の性の相談を受ける産婦人科医、赤枝恒雄さん。そして、私。それぞれに“サロン”をもつ3人が語り合った。

ただ、正直いってあのころの私はサロンよりも、毎日無事にうどんを出すことに精一杯だったな。

「信頼を街に」というタイトルの原稿から、この連載をスタートしたのは、その5カ月後である。それからさらに時は流れた。

うどんカフェが、少しずつサロンに成長しつつあるかな、とふと思うこのごろである。

第17回 所変われば品変わる

あんなんでよかったかねぇ

「カレーうどんといえば、つゆにカレーが溶けているものを考えていたのですが、うどんの上にカレーが乗ってでてくるではありませんか」と書いたのは「きたの@青梅」さんである。
「さぬきうどんメーリングリスト」はインターネットを使った談話室のようなもので、1人の発言が何百人もの人に届く。住所も職場もさまざまなメンバーの共通点は「うどんが好き」。ハンドルネーム(愛称)で呼び合う。私は「きよ@うどんカフェ」だ。

青梅市に住む「きたの」さんが、遠路はるばるやってきて「東京新聞(のこの連載)にカレーが手作りと書いてあったから」と、カレーうどんを食べてくれた。冒頭に紹介したメールは、その感想である。

続きがまた面白い。きたのさんのお母さんが若い頃、田舎の食堂でアルバイトをしていた。都会から来た客に「カレーうどん」と注文されたが、そんなメニューは誰も聞いたことがない。店員さんたちが相談してカレーライスのカレーをかけうどんに乗せて出した。

「あんなんでよかったかねぇ」と、店員さんたちがひそひそ話をしている一方で、お客さんは「所変われば品変わるというが・・・」と、たいそう感激していたとか。


思い出のカレーうどん

この後、次々にカレーうどんの思い出が寄せられた。
「僕が子どものころから家で食べていたのは、湯通ししたゆでうどんを皿に乗せ、それに前日の残りのカレーをかけたもんでした」(かず@神戸)

「湯通ししない方がカレーに麺がよくからむし、ルーが水っぽくならなくていいんですよ」(ざまくい3号)「わが家でも同じでしたよ」(たる)。この2人は本場讃岐から。

「小学生のころ、喫茶店を経営していた母が作ったカレーを分けてもらっては、うどんに“どっちゃり”かけて食べるのがお気に入りでした」(こずえ@カンザス)

アメリカ在住の彼女は、そのことを思い出すとお母さんの喫茶店の様子や、当時一緒に住んでいたおばあちゃんの顔、お母さんと一緒にドーナツを作ったことなどが、次々に浮かんでくるそうだ。

調理すること、食べること、食を語り合うこと。それらは人と人、親と子、家族の間に、それぞれの心を引き付け合う磁力を生じさせるらしい。


うどんがとりもつ、人と人との関係

相変わらず、家族連れのお客さんが多いうどんカフェである。ふと、もしここにテレビが会ったら? 灰皿があったら? カウンター席だったら? などと考える。なにげなく作ったこのお店の内装や決まり事が、実は、うどんを間に置いた、人と人とのよい関係を演出するためのものだったと、いまさらのように気づく。

さて、うどんカフェのカレーうどんは、うどん屋のそれでもなく、家庭のそれでもない。まず、トマト風味の洋風カレーを麺にからめて食べ、しだいにカレーがつゆと溶け合ったところで、飲み干してもよし、ごはんを入れて雑炊風にするもよし。これが、うどんカフェのオリジナル。みなさんの家庭にも、きっと自慢のカレーがあるでしょ?

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