第6回 今がいちばんいいとき
理想と現実
我が娘と息子は6歳と3歳である。子育ての先輩たちから、「今が一番いいときよ。大切にね」とよく言われる。そのときは経験者の声をありがたく胸に刻むのだが、現実に戻るとどうもうまくいかない。
日々の仕事に追われ、家事はたまり、きょうだい喧嘩に夫婦喧嘩、「わー、もう○時だよ」を何度口にすることか。「早くしなさい」「もうっ、何やってんの!」と声を荒げることもたびたびなのだ。
そこで「よーし」と発奮して、うどんカフェは8日間の休みをいただいた。子連れ出勤で掃除をしたり、買い物に行ったりで5日間を過ごし、さて残りの3日はというと・・・・。
「セカチュー」のロケ地へ
夏のキャンプが我が家の恒例になって3年目である。娘は自らキャンプリーダーを名乗り、持参品をチェックし、「今年はやめようよ」というお父さんの背中を押した。
そして出かけた西伊豆・松崎町。山間いでキャンプを張り、日中は海へ。近くの町で買った魚を焼いて食べ、夜は満天の星空に見とれた。
「夫婦の語らい」ができない
隣にテントを張ったのは5人家族。3人の子どもはもう中学・高校生くらいで、自分たちだけで渓流で遊んだりしているのだろう。
いつ見てもお父さんとお母さんが、ゆったりとベンチに座って語り合っている。仲のいいご夫婦だなあとうらやましかった。
うちも仲が悪いわけではないけれど、なにせ子どもたちはまだ幼い。水くみに食器洗いにと張り切るのはいいのだが、「ママー、うんち漏れそーっ」とか「転んで血が出ちゃった」とか、何かと事件が多い。落ち着いて夫婦の語らいとはいかないのである。
家族キャンプより友達?
その“隣のおじさん”と炊事場で一緒になった。「うちも子どもが小さいうちからキャンプを始めればよかったなあ。あと何年一緒に来てくれるか・・・」。鍋釜を洗いながら、彼はそう言った。
いずれ「家族でキャンプ」より、友達とのつきあいを楽しいと感じる日が来るのだろうかー。そんなことを思うとちょっと寂しい。
仲良し親子
でも先日、うどんカフェに来店された、20歳くらいの娘さんとお母さんは微笑ましかった。
顔を付き合わせて「胡麻だれうどんにしょうよ」「お豆腐のムース頼んでみない?」と仲良く悩んでいる。食事をしながらのおしゃべりもぽんぽん弾んで楽しそう。
意外な答え
思わず「仲がいいですね。娘が大きくなったら、私もこんな親子になりたい」と話しかけたら、2人そろって、私の顔を見て、ぷっと吹き出した。お母さんがこう言う。
「やっと、ですよ」
思春期に親に反抗して大変だった、その時期が過ぎてやっと今があるのだ、と。
「生まれたときから」反抗してるよ
娘さんに「何歳くらいから反抗したの?」と聞くと、一瞬宙を見て、ズバリ!
「生まれたときから」
厨房から夫も出てきて、みんなで大笑いである。彼女は、子育ての心得を冗談めかして教えてくれたのかもしれない。
「何歳でも、親の思うとおりになんていかないよ」と。
第7回 キャンプで反省、来年は
キャンプは自然破壊?!
前回のこの欄に、キャンプにハマっていると書いた。実は3年前に初体験するまで、私は「キャンプ」や「アウトドア」の類を、ちょっと冷ややかに見ていた。自然に親しむと言いながら、実際にやっていることは環境汚染、エネルギーの浪費、ゴミ増やしとばらまきではないか、と。
自然豊かな山を切り開き、水道を引き、トイレを設置し、外灯を立てたキャンプ場。大きな車に荷物を積み、ガソリンをまき散らしながらそこに向かう。家にいれば使わなくてすむ、ガスのカセットボンベや電池を浪費し、ゴミを増やす。現代の便利生活の小道具たちがあってこそ、私たちのような素人がキャンプを楽しめるのである。
ゴミ問題の行方
去年行ったキャンプ場では、指定されたゴミ捨て場に行くと、あらかじめ巨大な穴が掘られていて、そこにゴミを投げ込んでくださいということだった。穴をのぞくとポリ袋や段ボールが折り重なった、夢の島と同じ光景が私を見上げていた。きみらのひとときの満足のツケさ、とでも言いたげに。
穴がいっぱいになれば埋めて立てるのだろうが、これから先、果てしない年月にわたって、さまざまなものが土壌に溶け出し、雨水がそれを運び、川の水を汚染するだろう。それは、めぐり巡って、私たちの家庭の蛇口から噴出する。塩素たっぷりの消毒水となって。
日々の生ゴミから、原子力発電所の核廃棄物に至るまで、私たちは行き場のない物質を生み出し続けている。とりわけ都市は埋め立て地不足で、ゴミの処分場や山間部や島に頼るのが現状だ。
が、簡単に受け入れ先は見つからない。ありがたいことである。行政や私たち住民が
「なんとかゴミを減らさなければ」
と考える動機になるからだ。
あの開放感が捨てがたい
うどんカフェでも、毎日ゴミが出る。ただ、食べ残しはとても少ない。たまに「ごめんなさい、量が多くて食べきれなかったの」というお客さんに謝られたりすると、恐縮してしまう。
スーパーやコンビニで、毎日大量の賞味期限切れの食品が捨てられることを思えば、こうした顔の見える関係で食を提供できるのは、ありがたいことである。
しかし、ダシを取った後の昆布、かつお節、煮干しは毎日出てしまう。そこで昆布に下味を付けて、昆布の天ぷらにするなどの工夫をしている。気になるのは、割り箸である。塗り箸も置いているが、割り箸の方が人気が高い。麺類には割り箸の方が向いているのかもしれない。
さて、罪深いことと知りつつ、麻薬のごとく私たち家族をとりこにしてしまったキャンプ。あの開放感とすがすがしさは捨てられない。悔しいけれど来年も行こうと。小1の娘がリビングで開いた家族「キャンプ反省会」で決まってしまった。次回のキャンプのテーマは「ゴミを減らそう」ということで、自分たちに言い訳しつつ・・・。
第8回 くりぃむしちゅーさんが取材してくれたこと
いぶかしげに入ってきた彼ら
うどんカフェをオープンして間もないころ、お笑いタレントの海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)さんが取材にみえた。 「あの、ママ・チョイスさんはここじゃないですか?」といぶかしげに入ってくる彼らの後ろを、テレビカメラがついてくる。麺室から顔を出した夫が指さした先に、一見、物入れのようなドアが・・・。
我がママ・チョイスの事務所である。
私は、厨房の手があくとここに来て、本の出版、妊娠・子育て期の女性向けホームページの運営、エコロジーグッズや授乳服などのインターネット通販をしている。
彼らが取材したかったのは、つまり、こんな狭い部屋のたった一台のパソコンの前で、なんの経験もない普通のお母さんが、自分の体験だけを元手にインターネットの恩恵を受けて事業をしている、ということだった。といっても万年赤字なので、事業という言葉を使うのは恥ずかしい。
「わたしのお産」の振り出し
ママ・チョイスの出発は、初めての妊娠をした7年前にさかのぼる。どこでお産をしようか迷った。地域の産院情報誌があれば便利なのにと思い、区の母親教室で知り合った妊婦さんたちを誘って、一緒に産院情報誌「わたしのお産」を作り始めた。
まず地域の病院・産院に、どんなお産ができるのか、その方針を教えてもらう。一方、そこでお産をした妊婦さんを探して、お産体験をアンケート形式で答えてもらい、沿線別に並べて掲載するのだ。
お産なんて、どこでも同じでしょと思われるかもしれないが、立ち会い出産ひとつと言っても、考え方はさまざまだ。「妊婦さんがリラックスできる」という医師もいれば、逆に「夫の立ち会いは妊婦さんを甘えさせるからマイナスだ」と考える人もいる。
産後、赤ちゃんとお母さんが同じ部屋で過ごす「同室」か新生児室に赤ちゃんだけを集めて看護婦さんが面倒をみる「別室」か、これも方針も分かれるところである。
まず、自分の希望にあった施設を選び、通院中は医師や助産婦さんとよく話し合って自分の意志を伝えよう。そんなメッセージを込めて情報誌を世に送り出している。
お母さんが発想する仕事
でも、医師とのコミュニケーションはなかなか難しいものだ。 そこで、自分の体調や疑問、それに対する医師の返答や健診の記録を書き込むことができる、ノートのような書籍「わたしのお産サポート・ノート」(1300円+税)も出版した。切り取って使える、医師への「お願いカード」のオマケ付きである。
私が「わたしのお産」の第1号を出したころ、出版社・(株)ショパンの井沢彩野さんは3人目のお産で休職中だった。「先を越されたっ」と悔しがったという。彼女は職場に復帰後、産院情報誌「ここで産みたい!東京」の出版を実現した。
今では、神奈川はママ・チョイス、東京はショパン、とお互いエリアを分け合い、競い合う仲である。お母さんの実体験から発想する仕事は、派手さはないがツボを心得ているのだ、と私たちは自負している。
第9回 情報は生で食べないで
異なる立場から、二つの批判
前回のこの欄に書いた、産院情報誌「わたしのお産」の第一号を発行して間もなく、ある産婦人科の医師から電話をいただいた。
「こういう情報誌は大変危険だ。やめた方がいい」 活字になった情報の受け取り方はさまざまだ、必ず誤解を産む、という趣旨だった。
しばらくして今度は、お産の事故で、医師を訴えて裁判をしているお母さんの電話にショックを受けた。
アンケート回答を掲載するだけでは、病・産院の全体像は伝わらない。情報誌に出ているからというだけで、ずさんな医療行為が日常化しているような産院にも、安心してかかる人が出てしまう、とのことだった。
私にとってはダブルパンチである。全く異なる立場の2人から、同じような指摘をされたのだから。
以後、情報誌のスタイルや記事の内容に、できる限りの工夫を重ねてきた。 たとえば産院選びのポイントを記事にまとめたり、「情報を生で食べないでください」というコピーを見開きごとにいれてみたりした。
あなたが目にしている情報が、現実そのものだと勘違いしないで! 自分自身の目で確かめて、産院選びをしてね!という願いを込めて。しかし読者がどう読むのか、いつも不安がぬぐえない。
現代人の課題「メディア・リテラシー」
今月初め、そんな私の悩みにピッタリの催し「マタニティメディアの明日を探る」が葛飾赤十字産院の竹内正人医師らの手によって開かれた。その中で「メディア・リテラシー」)(岩波新書)を書いた、ジャーナリストの菅谷明子さんの講演を聴いた。
メディア・リテラシーとは 「メディアの社会的な意味を理解し、情報を批判的に読み取り、メディアを使って表現する複合的な力」のこと。これこそ私が6年間、お産情報誌を読んでくれる読者に求めてきたものだった。
イギリスやカナダ、アメリカなどの学校では、この力を育てるための授業がすでに行われているそうだ。講演の後のパネルディスカッションでは、パネリストとして雑誌「たまごクラブ」の編集長、毎日新聞の記者、NHKのプロデューサー、そしてインターネットや地域雑誌から情報を発信するママ・チョイスの私、以上4人がそれぞれのメディアの立場から思うところを発言した。
あらゆるメディアに対して、私たちはメディア・リテラシーの力をつけて向かわなければならない。たとえニュース記事であっても、1時間の取材を10行にまとめようとすれば、必ず書き手の主観が反映されるからだ。
ママ・チョイスでは、「わたしのお産」の新訂版発行に向け、神奈川県内の産婦人科にアンケートのお願いを発送した所である。同時に、赤ちゃんのお母さんに出産体験を書いてもらうアンケートも実施している。
さて、どんな情報誌にまとめよう?読者にメディア・リテラシーをアピールする方法は?
秋の深まりと共に、悩みも深くなりそうだ。
第10回 うどんって、うまいものだったんですね
東京男と四国女
うどんカフェのうどんを毎日手打ちしている夫は、実は、生まれも育も東京で、ずっと「うどんより蕎麦」の新信念の持ち主だった。
一方、私は四国の松山出身で、外食といえばうどん、という環境で育った。蕎麦屋もあるにはあったが、手打ち蕎麦を食べた記憶はない。
ただ、松山のうどんはどうも頼りない感じで、私は隣県から進出してきた讃岐うどんのファンだった。麺のコシとつや、ダシのきいたさわやかなつゆ、どれも最高なのだ。
さて、東京男と四国女の私たちが出会って、夫は初めて四国に足を踏み入れた。そのとき、香川県の田舎の名もない食堂で食べた一杯のうどんに彼は参ってしまった。
本場・讃岐で開眼
その店に入ったとき、ちょうど目の前で、割烹着を着たおばあちゃんがうどんの生地を延ばしていた。当然のように私たちは待たされ、そして打ち立て、茹でたての讃岐うどんをいただいたのである。
「うどんって、うまいものだったんだなあ」と言う彼に、「でしょ!」と、まさに我が意を得たり、の私。でも、まさか10年後にうどん屋になろうとは思わなかったな。
讃岐うどんと関東のうどんはまったく違う。夫がうどん打ちを教わった東京の蕎麦屋の師匠は、「粉をいじめてはいけない」と言われた。
しかし、師匠に教わった通りに打ったうどんは、私たちには物足りなかった。それからインターネットや雑誌で情報収集し、見ず知らずの人に教えを乞い、あとは試行錯誤の繰り返しで、私たちなりの「讃岐うどん」に行き着いたのである。
讃岐うどんの作り方
簡単に作り方を説明すると、こうだ。
(1)まず塩水を小麦粉全体になじませる
(2)ひとかたまりにまとめてシートをかけ、その上から踏む
(3)踏んで延ばして畳んでまた踏む、を繰り返す
(4)団子にして寝かせる
(5)延ばして切る。
うどんを踏むというと、気持ち悪いと感じる人もいるかもしれないので、「これだけは書くな」と夫に口止め、いや筆止めされていたのを、今思い出した。
しかし、讃岐うどんから踏みを抜かして説明することは不可能なので仕方ない。これは、師匠が言うように「粉をいじめている」のではない。我が子のように手をかけてかわいがっているのだ。
最初は踏むと、そのままズボッと沈んでしまうが、踏み続けるうちに、うどんが足の裏を押し返してくるようになる。よしよし、育ってきたな、という感じなのだ。
時々来店するサラリーマンの方が、先日こう言われた。
「うどんって、うまいものだったんですね」
夫はこの一言に舞い上がった。讃岐で自分が言ったと同じセリフを、お客さんの口から聞くことになろうとは・・・・。
この方は、以前はよく蕎麦を注文されていたが、近ごろはうどん専門である。讃岐から持ち帰った「うどん好き」の種が、人から人へと広がって花が咲いていくのが、なんともいい気分である。
第11回 多量の醤油、わけがある
古今東西だしは七変化
季節の変化をどこに感じるかは、人それぞれだろう。私の場合、お客さまが温かいうどんのおつゆをすする音と、ごくんと飲んだ後の「はーっ」というためた息が、「あー秋だなあ」と思わせる。
うどんカフェのおつゆは、純関東風ではない。
先週書いたように、私は四国・松山の出身で、色が濃くて醤油と砂糖の味が強い関東のつゆに、どうしてもなじめなかった。かといって、関西風のつゆは色は薄いが、ちょっと甘すぎるように感じてしまう。
では、讃岐風はというと、煮干しの香りが前にでるので、関東の人には嫌われそうで気が引ける。そこで、昆布や煮干し、鰹節を、うどんカフェ独自の分量に調整してダシをとっている。というとカッコがいいが、いまだに試行錯誤中なのである。
「返し」を使うかどうかも、東西で分かれるところだ。返しとは、ダシ汁、醤油、みりん、砂糖を組み合わせた保存のきく調味料で、関東ではこれを使ってつゆを作るのが通常のやり方。
一方、西の方では、ダシ汁に直接醤油やみりんを入れて味付けをする。ちなみにうどんカフェでは自家製の返しを使ってつゆを作っているので、まさに関西・讃岐・関東のミックスダシである。
今に生きる江戸時代の味覚
先日、大阪のかつお節屋さんの若い営業マンが訪ねて来た。あんまり話が面白いので、すっかり話し込んでしまった。
「なぜ関東のつゆは色が濃いか、ご存じですか?」と、彼が言う。「そりゃ、醤油の量が多いからでしょ」と答えたが、彼が言いたいのはその先で、なぜ醤油を大量に入れるのか、なのだった。
ここからは彼の話の受け売りになる。
江戸時代、北海道の昆布を積み込んだ船は、日本海を通ってまず、京都で大量に荷をおろす。
その後、各地に寄港しながらぐるっと長旅をして、瀬戸内海をどん詰まりまで進み、そこで大阪商人が残りの昆布を全部買い占めたそうだ。だから、江戸まで船が行ったときには、すでに昆布はなかったのである。
昆布に含まれるグルタミン酸は、ダシの旨みに重要な役割を果たす。しかし、そんなわけで関東に昆布が流通しないので、醤油に含まれるグルタミン酸で旨みを出したのだ。だから、関東につゆには醤油がたくさん使われる。
「へーっ」
夫と私は揃って感心してしまった。まずは、何事にもわけがあるという発見。そして、もっと驚いたのは、日本中飛行機でひとっ飛びの現代に、そして、いながらにして世界各国のエスニック料理が味わえるこの国で、江戸時代からの伝統が各地で生き続けているということだ。それほどの人々の味覚や嗜好は、世代を越えて変わらないものなのだろうか。
そういえば、洋食コテコテの学校給食を「きゃー、豪華!」と大喜びで平らげてくる娘が、うどんだけは「やっぱり、ざるうどんだね」という。娘よ、次の世代まで、その味覚を引き継ぐのだよ。
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